「海に捨てよう」
冷え切った目で『それ』を見下ろしていたキールが、独り言のようにぽつりと呟いた。
「うみ?」
「そう、海に」
キールが傍らにあったゴミ置き場から土埃を立てながら引っ張り出したのは、麻布で作られた茶色いずた袋。
野菜や肥料なんかが入っていたのであろう袋は少し古びてはいるが丈夫そうで、かなり大きい。
そう、ちょうど、体を小さく丸めれば『人ひとりは入ってしまいそう』なくらい。
「こいつ、歯も肌もボロボロだし服は着古した安物だ。せいぜい貧乏なチンピラか浮浪者ってとこだろ。突然いなくなった所で、とっ捕まったか何かヘマしておっ死んだと思われて終わりだ。誰にもわかりゃしねぇよ」
かさばる部分は折り畳み、出っ張った部分は捻じ曲げて、液体が溢れそうな部分は内側に折り込むように。
キールは手際良く『それ』を袋にぎゅうぎゅうと押し込んでいく。
手伝わなくちゃ、と思ったのにどうにも体が重たくて動かない。
結局、ぼくは湿った石畳に座り込んだままその様子をぼうっと眺めていた。
キールが持って来ていた小さな手提げランプしか光源がないため、夜中の路地裏はぼんやりと薄ら暗い。
強かに殴られて腫れ上がった瞼が重たかった。まばたきが上手くできないのは痛みからか、それとも眠気からなのか。
のろのろと見上げた月は、まだ空の高い位置にあった。いつもならとっくに夢の中にいる時間だ。
「すてるの?なんで?」
「これをなんとかしないとお前が捕まる」
「……え?でもぼく、このおじさんころしちゃった……それってわるいこと、だよね?」
壁の赤黒くぼやけた染みを恐る恐る見上げる。
ランプの灯に照らされて黒々と存在感を増したそれは、まるで絵本に出てくる恐ろしい怪物のようだ。
ゆらゆらと揺らめく動きはなんだか怒っているように見えて、恐ろしくなってすぐに俯いてしまった。
きっと、知っている人が見たらこれが何なのかすぐにわかってしまう。血と、砕けた肉片と、飛び散った脳漿の染み。
どんな理由があっても、例えわざとじゃなくても、人を殺すのは悪いことで、悪いことをしたなら牢屋に入らないといけない。
そう思っていたし、いつだったか彼からもそう教えられた気がするのだが、それを聞いたキールは顔をぐにゃりと歪めた。
笑っているようにも、泣いているようにも、怒っているようにも見える。
それは普段の明朗快活な彼とはかけ離れたあまりにも不恰好な表情だったので、ぼくはキールが今どういう気持ちでいるのかがまるでわからなかった。
おじさんにされた『いやなこと』の話をしてからというもの、彼はずっと様子が変だ。
「お前は悪くないだろ」
「ひとをころしたのに?」
「……悪くない」
「そうなの、かなぁ」
「そう。でも、このままだと悪いことにされるから……だから、これをなかったことにするんだ。」
ぼくはひどく驚いた。
「そんなこと、していいの?」
いいのだろうか。
ぼくの壊れてうまく働かない頭は、また何か勝手に思い違いをしてしまっていたのかもしれない。
なんだか居心地が悪くなってもぞもぞと座り直す。
元々着ていた服や下着は殆ど使い物にならなくなってしまったので、今の格好はキールに貸してもらった薄い上着1枚きりだ。
ぼくのために肌着一枚も同然になってくれた彼には申し訳ないが、あちこちを風がすうすうと通り抜けてどうにも落ち着かない。
「いいんだよ。……いいに決まってる。もしダメでも、俺が全部なんとかしてやる」
「そ、そうなんだ。じゃあぼく、ろうやにはいらなくていい?」
「うん、…うん。」
キールがいいと言うのならきっといいのだろう。
よかった、ぼくはこっそりと胸を撫で下ろした。さっきはああ言ったものの、本当は牢屋なんて入りたくなかったのだ。
暗いところも寒いところも、狭いところも嫌いだ。ひとりぼっちはもっと嫌いだ。
蜂蜜色の両目がぼくの爪先から頭までをのろのろと巡っていったかと思うと、何かに堪えるようにぎゅっと瞼を閉じた。
さっきから、腹でも痛むのだろうかと心配になる。ずいぶん強く力が込められているのか、眉間も鼻頭も額も皺でいっぱいだ。
けれど、次に目を開けた時にはもうキールは見慣れた顔で笑っていた。さっきまでのぐにゃぐにゃした奇妙な表情は影も形もなくなっている。
ぼくの大好きないつもの友達の顔だった。
「もし万が一、ってなったら俺も一緒に入ってやるよ。お前、あんな暗いところにひとりじゃ怖くて寝れないもんな?」
「ね、ねられる、もん……たぶん」
「嘘つけ、この間トイレの明かりが消えただけでピーピー喚いてたくせに」
「うえぇ…そ、そうだっけ……」
ようやくいつもの調子で話ができたのが嬉しくて、うまく動かない顔で笑い返す。
血と泥と何かの体液で汚れた頬が引き攣れて、切れた唇がぴりぴりと痛んだ。
もっと話していたいのに。声を聞いていたいのに、なんだかさっきから頭がぐらぐらして、うまくものが考えられない。
許されるなら今すぐにでも目を瞑ってしまいたかったが、キールに呼びかけられて慌てて頭を左右に振った。
まだやらなければいけないことがあるのだ。
「……よし、こんなもんかな。何か言われたら適当に配達中の野菜だとか言っときゃいいだろ」
キールが袋の入口を固く縛ると、中身は完全に見えなくなった。
ところどころ不恰好にへこんだり飛び出したりはしているが、何も言われなければ確かに野菜か何かが入っているようにしか見えない、のかもしれない。
さっきまでのおじさんはまるで恐ろしい怪物のようにすら見えたのに、こうなってしまうとずいぶんと小さなものだなぁ、と感心する。
ぼくはしばらくの間ずた袋をしげしげと眺めていたが、嫌なことを思い出してしまいそうな気がしたので慌てて視線を逸らした。
背中がぞわぞわと冷たくなって、胸がどきどきする。
「この染みも、まぁ日が昇るまでの間なら見つからないだろ。血痕が残っていたところで、当の死体がなければ身元の特定には時間がかかるはず……これを海に捨てた後、さっさと牛車でこの町を出て公国領を抜けちまえば追ってはこないだろうし、念の為に共和国領にでもしばらく身を潜めておけばすぐに……あぁ、根回しもしてもらって……」
「キール?」
「……あぁいや、悪い。なんでもないよ。お前は俺の言う通りにすれば大丈夫だから。今は何も見なくていいし、何も考えなくていい。あとちょっとだけ、頑張って歩けるか?」
「うん、あるくよ」
壁を頼りにしながらずるずると引き摺るように立ち上がる。
いまだに脚は震えているし、下半身はじくじくと鈍く痛むが、まったく歩けない程ではないだろう。
あらぬ所から零れた体液が剥き出しの肌を伝い落ちる感触に悲鳴を上げそうになったが、なんとか我慢した。
裸足のまま辺りに放り出されていた靴をつっかけるように履いて、よたよたと歩き出す。
「よし、行こうか」
「うん」
キールがずた袋を重たそうに担ぎ上げる。その腕にいつものように掴まろうとして、やめた。
代わりに、貸してもらった服の上から自分を抱き締めるようにしてぎゅっと縮こまる。
どこにも触っちゃだめだと思った。特にこの優しい親友には絶対に。
もうずいぶん弱々しくなったランプの灯りの中ですら、自分の手は酷く汚れて見えたから。
ずた袋は2度3度浮き沈みしたかと思うと、あっという間に波の隙間に見えなくなった。
恐らくは魚の餌、運が良ければ近くの浜にでも水死体として流れ着くか。
この辺りは岩礁が多く、潮流も速い。
仮に死体が引き上げられて後頭部の傷を見られたとて、哀れな転落者が波に揉まれるうちに傷ついたのだとしか思われないだろう。
水平線の遥か遠く、東の空が白み始めていた。
もう日の出が近い。
適当な牛車を調達して、早くここを去ろう。
相場の3倍程度の料金を払えば口止めもできるだろう。牛飼いというのは頑固だが口の堅い人物が多い。
しゃがみこみ、崖下の海面をぼんやりと覗き込んでいたコノハを横抱きに抱え上げる。
本当は背負ってやりたかったのだが、掴まる必要がない分こちらの体勢の方が比較的負担は少ない。小さな身体は抵抗もなく腕の中に収まった。
こんな状態の彼を1人で置いておくわけにもいかないので連れて来てしまったが、やはり相当に無理をさせてしまったらしい。
よほど疲弊していたのか、コノハはのろのろと俺の顔を見上げた後くたりと力を抜いて身体を預けてきた。
その動きは安心というよりも恐らく諦念に近く、いっそ泣き喚いて暴れてくれた方がマシですらあったように思う。
自分は本当に『間に合った』のだろうか。
「帰ったら……まず風呂か」
「……うん、」
「怪我の手当てしないとな。俺に、男に触られるのが嫌だったら、スノウさんとかマナちゃんにお願いしてみるから……」
「うん、だいじょぶ…」
「ええと、寒くないか?腹は減って……あぁいや、そんな気分じゃないか……」
声をかければ返事はするものの、蝋のように血の気の失せた顔は項垂れたままこちらを見ない。
心配になって覗き込もうとして、抱えた身体がかたかたと震えていることに気がついて愕然とした。
今の彼にとっては、自分ですら恐怖の対象なのか。
「……ごめん、怖いよな、怖かったよな……でももう少し、もう少し我慢してくれ……」
「こわい?……こわい、のかな?なんか、よくわかんなくなっちゃった」
こほこほと、コノハが弱々しく咳き込む。
身動ぎする度に酷いにおいがするのは、ここに来る道中で何度か嘔吐していたからだ。着せてやったシャツは胸から腹までぐっしょりと汚れている。
ほとんど胃液に等しい吐瀉物がどろりと白く濁っているのを見た時、俺は生まれて初めて誰かを酷く痛めつけて殺してやりたいとさえ思った。
嗚呼悍ましい。痛ましい。考えたくもない。吐き気がする。
けれど、一方で俺はひどく安堵していた。
ひとつ前の世界では『間に合わなかった』のだ。
酒と血と体液が飛び散った薄暗い路地裏で、彼は酒瓶で頭を叩き割られて事切れていた。
事件はよくある酔っ払い同士の喧嘩として処理され、犯人は見つかるどころかろくに捜査すらされなかった。
被害者が町民ではなく冒険者だったからだ。
清められることもなくあっさりと返却された遺体には、凄惨な暴行の痕跡がありありと残っていた。
血と性液でごわごわに固まった髪を撫でて、爪の剥がれかけた手を握りしめて、俺は世界を繰り返すようになってから初めて声を上げて泣いた。
聞き込みのために訪れた酒場で「もしかしてキールってあんたか?」と話しかけてきた男のにやついた顔を、俺はいまだにはっきりと思い描くことができる。
先程の死んだ男をずた袋に詰めるまでの短い間ですら、あの顔を引き裂いてやりたい衝動を必死で我慢していたのだ。
「色男だなあ兄ちゃん。あのガキ、ブチ犯されながら何度もあんたの名前を呼んでたぜ」
……あの場で、男を酒場ごと消し炭にしなかった自分を褒めてほしいくらいだった。
居住する権利を持たない町における冒険者の立場はほぼ最下層だ。
恐らくあの場で兵士を呼んだとしても、町民を殺した殺人犯として投獄は免れない。
例え正当防衛を主張したところで僅かばかりの減刑こそされど無罪にはならないだろう。
そもそもちゃんと話を聞いてもらえるか、それすらも怪しい。問答無用で鎖を掛けられて牢屋に放り込まれる可能性の方が高いだろう。
そのことをよくよく知っていた俺は、この世界が始まった時、今回のコノハに『前回のコノハには教えなかったこと』をひとつ教えた。
「誰かに嫌なことをされたら胸元を力いっぱい押せ。何度でも、相手が動かなくなるまで絶対に手を緩めるな」
従順な親友はその言いつけをきちんと守り、今はもう水底であろう哀れなずた袋の中身ができあがったという訳だ。
我ながらあまりの酷さに呆れを通り越して笑えてくるが、これでいい。
男の死体の前に裸同然の格好で呆然と座り込むコノハを見つけた時はさすがに肝が冷えたが、今もこうして生きている。
心には取り返しのつかない傷を負ってしまったかもしれないが、五体満足で、腕の中で息をしている。その事実が一番大事だった。
命さえ助かればどうとでもなる。心の傷の方はこれからゆっくり治療していけばいい。
どれだけ時間がかかっても、いつかまた冒険者として復帰できるはずだ。これで……
訝しげにこちらを振り返ってくる御者に財布を放り渡し、膝の上に抱き上げた頭をそっと撫でる。
牛車が揺れるたび、ほとんど力が入っていない首がぐらぐらと傾いだ。
閉じられることもなく虚ろに宙を見つめたままの瞳に、およそ正気と感じられるものがほとんど残っていないことには気がつかなかった振りをした。
考えが甘かったのだと思い知ったのは、存外にすぐのことである。
それから数日後、コノハは宿の庭木に縄をかけて首を括り、自ら命を絶った。
「まぁそういうことで、この町に着いた時点で先手を打っておくことにしたってわけだ。」
先程からまるで見知った様子で話しかけてくるが、男の顔や声に覚えは全くない。
髪も服もきちんと整えられた、小綺麗な見た目の若い男だ。
月明かりを反射してきらきらと輝く金色の髪は、恐らく男自身も熱心に手を掛けているらしく、感心するほどに美しい。
体格もそれなりに良く、上背だってある。絶世の美男子とまではいかないが、さぞ女から好かれるのだろう。
酒場の隅に腰掛けているだけで後ろ指をさされるような、醜男の自分とは最も縁遠い存在であるようにすら思えた。
男が歩を進めるたびに、追い詰められた袋小路に冷気が満ちる。
一歩、また一歩と距離を詰めてくる男に気圧されて後ずさるが、すぐに壁に阻まれて身動きがとれなくなった。
男の目的がわからないのだ。途中で落とした鞄に見向きもしなかったということは強盗の類ではないのだろうが、狂人や薬物中毒者というには男の目の色や話し方は理性を保ちすぎているような気がした。
「この町には必ず来なきゃいけないんだ……じゃないと、あの子は他の原因で死ぬから。俺が傍で守ってやりたくても、いつもいつも何かに阻まれる。気がつかないうちに事が起こる。多分確定事象とかいうやつなんだろうな。理解するまで、何度も辛い死に方させちまった。」
クソッたれが。男が吐き捨てるように呟いて、傍らにあったゴミ箱を蹴り上げる。
ブリキ製のそれが転がってガラガラと喧しい音を立てたが、誰かが様子を見に来る気配はない。
この辺りは治安のあまりよろしくない地区だから、いつもの酔っ払い同士の喧嘩だとでも思われているのだろう。
男に誘い込まれたのだ、とそこで初めて気がついた。
「まだ起こってもいない罪を罰するなんて、おかしいと思うか?そうだな、俺もそう思うよ。でも、前もその前もそのまた前も、お前はあの子を犯して殺したんだ。頭を叩き割って、瓶の破片で喉を掻っ切って、首を絞めて……後は何だったかな。思い出したくもねえや」
近くの窓のカーテンがほんの少し開いたかと思えば、またすぐに勢いよく閉じられた。明らかな揉めごとに関わり合いになりたくないのだろう。
先程からずっと、男が何のことを話しているのか全く理解できない。やはり気が触れているのか?
住民はともかく、どうして夜警団の1人も来ない?
いくら怠慢な奴らとて、オレがさっきからこんなに助けを求めて叫んで……さけんで、いる、のに?
そこで初めて、自分の喉がざっくりと裂けていることに気がついた。
花弁のように弾けた肉がちぎれた皮とともに垂れ下がり、隙間からは空気がひゅうひゅうと乾いた音を立てて漏れている。
男の手にある奇妙な形の短剣から血が滴っていた。
熱い、痛い、痛い痛い痛い!
思いきり悲鳴を上げたつもりだったが、当たり前のように声は出ない。喉の肉が振動する低い音がわずかに響いただけだった。
「はは、煩かったか? 許してくれよ。こんな話、これから死ぬ奴にしか吐き出せないんだ。……なんだよ。もしかして、まだ俺の話を信じてねえのか?」
男がけらけらと笑う。吊り上げられたように開いた口の端からは八重歯が覗いている。
爛々と輝く金色の瞳と相俟って、まるで獰猛な獣か何かのように見えた。
「じゃあ、ひとつお前の性癖でも当ててやろうか。ろくに成人もしてないようなガキを甚振るのが好きだろ?それも男の、細っこい見た目のやつだ」
一瞬、痛みを忘れる。反射的に見上げた男の顔は、もう少しも笑ってなどいなかった。
ひどくつまらなさそうに、道端の虫でも見るような顔でオレを見下ろしている。
男の言う通りだった。
今晩だって、酒場に寄って一杯引っ掛けた後いつものように『獲物』を探すつもりだったのだ。
浮浪児や冒険者の連れ子、売春婦が産んで家に放ったらかしにしてる子供。
見目がそれなりに良く、それでいて足のつかなそうなガキを見つけては刃物で脅し、事が済んだら適当に始末する。
従順で具合が良ければ、部屋の風呂場で飼って2、3回と楽しむこともあった。
この町の治安組織は半ば慈善事業で成り立っており、ろくに報酬も貰えないせいか職員の殆どはひどく怠慢だ。
身寄りのない子供が1人や2人殺されたところで大して騒ぎもしない。だから今日まで誰にもバレることなく、安心して欲を満たすことができていたのに。
なぜ、さっき初めて会った、それも見るからに余所者の男がそのことを知っている?
ぱくぱくと頻りに口を開け閉めするオレを見下ろして、男がフン、と鼻を鳴らす。
調理法が決まったまな板の上の魚に、これ以上何かを話しかける気もないらしい。
「いい趣味だよな。これから会える神様にもぜひ勧めてやれよ」
冷ややかに笑った男が、石畳にかつん、と踵を打ちつけた。
次の瞬間、地面から飛び出した氷柱に足の甲を貫かれて、もんどり打って倒れ込む。強かに顔を打ちつけて火花が散った。
こつん、こつん、と足音を鳴らして、男が近づいてくる。
隙を突いて逃げてやろう、という思考はとうに遥か彼方に追いやられていた。
涙が、鼻水が、裂かれた喉の隙間から血混じりのあぶくがぽたぽたと溢れ落ちる。
地べたに潰れたカエルのように這い蹲って、惨めたらしく男に平伏することしかできない。
男がついと右手を振った。
頭のすぐ上で、冷気が凝集する気配がする。
うなじの毛がぴりぴりと逆立ち、汗ばんだ額に霜が薄く張る。
「……まぁ、気の毒だとは思うけどさ」
いやだ、嫌だ嫌だ嫌だ助けて、死にたくない。殺さないでくれ。
震える唇から最期に滑り落ちたのは、皮肉なことに今までオレ自身が数え切れないくらい嘲笑って、無視してきた言葉だった。
「悪いんだけど死んでくれよ。俺の一番大事なあの子のために」
あ。