権謀術数


 

「白痴の娘とな」

「えぇ」

 

人売りの男はにっこりと笑う。

穏やかで人好きのする、けれどどこか隠しきれない胡散臭さが滲む笑みだった。

 

男が『商品』を携えて私の屋敷を訪れたのは、春の日差しが差し込む昼下がりのことだった。

目の前の長椅子に腰掛けているのは、すらりとした長身に指通りの良さそうな金髪をした若い男。

洒落た眼鏡も、嫌味にならない程度に品のある仕草も、彼を昼の雑踏に溶け込ませるのにさぞかし役立つのだろう。

若い女や子供を中心に仕入れているというだけあって、さすが「無害な人物」に化けるのが上手い。

 

「旦那様でしたらきっと価値をおわかりになるだろうと知人から伺ったものですから、是非にと思いまして。」

 

男が『商品』として連れて来たのは、所謂白痴の娘であった。

背丈は成長した女のそれだが、黒い髪の下から覗く顔はあどけない。

男に手を引かれて歩くたび、豪奢なヘッドドレスに包まれた頭が小さく揺れる。

とろりと眠たげな瞳の焦点はふらふらと宙を彷徨い、まるで寝起きの幼子のような表情だった。

 

娘の身体は首元から膝下、指先までフリルがたっぷりとあしらわれた白いドレスで覆われている。

繊細な刺繍が施されたケープと、あちこちに差し色として入れられた赤いリボンが可愛らしい。

売り物の娘は体型がわかる格好で連れて来るのが基本だが、見るからに高級な仕立てのそれらを「旦那様がお喜びになるかと思いまして」と言われてしまえば悪い気はしなかった。

 

「……?……?」

 

自身の置かれた状況を理解していないのか。娘は不思議そうに部屋を見回した後、床にぺたんと座り込んだ。

フリルとリボンに埋もれ、腕をだらりと垂らして俯く様はまるで大きな人形だ。どこか浮世離れした、けれど大層美しい娘であった。

 

「なるほど、容姿はなかなか。」

「気に入っていただけたようで何よりでございます。」

「当然生娘だろうな?」

「勿論ですとも。私がこの目でしかと確認いたしました。」

 

男は、私が昔から懇意にしている人売りの仕事仲間だという。

奴が「後輩がぜひ旦那様にお見せしたいものがあるそうで」と文を寄越したため屋敷に招き入れたが、あの気難しい奴がわざわざ紹介してくるだけあって、若造にしてはなかなか良い審美眼を持っているようだ。

 

「失礼」

 

長椅子からおもむろに立ち上がった男が、ぼんやりと絨毯の模様を眺めていた娘の顎を掬ってこちらを向かせる。

大きな薄紅色の瞳とようやく視線がかち合う。娘はぱちぱちと瞬きをした後、ことんと首を傾げた。

 

「見目は素晴らしいでしょう。どうぞよくご覧ください。仄白い肌に宵闇の髪。この瞳など、まるで公国に咲く大桜のような色で。」

「珍しい色合いだな。未熟なコケモモのようでもあり、晴れた明け方の空のようでもある。美しい」

「そうでしょう?」

 

男は眼鏡越しの蜂蜜色の瞳をにんまりと細めたが、その得意げな表情はすぐに苦笑いに変わる。

「ただ、ココがね。」

己のこめかみを指でとんとん、と叩いた。

 

「天は二物をなんとやら……とはよく言ったもので。幼子程度の頭しかないんです。生まれの村でも穀潰しの厄介者扱いされていたようで。」

 

娘の呆けた様子を見ればそれも窺える。

男は、娘のドレスの緩んでいたリボンを引き抜き、また結び直してやっていた。

男に体を、それも胸元をまさぐられているというのに娘はされるがままだ。

畑仕事も家仕事もできず、嫁にも出せない娘。

田舎の小さな農村などでは、いくら見目が良くとも厄介者以外の何でもないだろう。

 

「頭が足りないので仕事はできませんが、その代わり何をされても文句は言いません。読み書きどころか会話も満足にできないので、口の固さは保証しますよ。ですので……」

 

男はそこで話を止め、辺りを気にするような素振りを見せる。

人払いは済んでいることを伝えると、男は潜めた声で囁いた。

 

「旦那様が先日から集めておられる……というお嬢様がたの遊び相手にも最適かと思いまして。」

 

私は大変に驚いた。男は私が最近集め始めた『コレクション』のことを知っているらしい。

『コレクション』については私の趣味を理解している同好の人間、それもごく一部の信頼できる者にしか話していない。

彼を紹介してきた馴染みの人売りにすら、まだ話していないというのに。

 

「君はどこでそれを?」

「少々小耳に挟みまして』

 

庶民どもが道端でするような相引き話ではないのだ、噂や盗み聞きなどは到底ありえない。

つまりその情報を知っているということは、この若い男がそれだけの情報網と人脈を持っているということになる。

 

「さて、いかがいたしましょうか。旦那様がご不要だとおっしゃるなら他のお客様……そうですね、娼館のご主人にでもお見せしようかと思っているのですが。なにせこの通りなので世話が大変でしてね、早めに手放してしまいたいのですよ。」

 

うんざりしたような声色とは裏腹に、男は悪戯好きの子供のような顔で笑っていた。

すっかり冷めてしまった茶を一口含み、茶菓子を物欲しそうに見つめていた娘の頭を撫でてやっている。

 

試されている。私は確信し、そして思案した。

提示された値は少々張るものだったが、この優秀な男とここで縁が切れてしまうのはあまりに惜しい。

娘を見る限り目利きの腕も悪くないし、男自身の容姿や立ち振る舞いも貴族と取引するに値するものだ。

なにより彼の持つであろう人脈と情報網をうまく利用できれば、私の『コレクション』もさらに充実したものになるかもしれない。

ここは、多少身銭を切ってでもこの男を己の縄張りに引き入れておくのが得策だろう。

私は頷き、男に鷹揚に微笑みかけてみせた。

 

「私に、と遠方からわざわざ持ってきてくれた品だ。勿論うちで貰おうじゃないか。20万zellぽっちとは言わず、君の欲しい額を言うといい」

「ありがとうございます。この娘は私から旦那様への親愛の証ですから。お安くしておきますよ」

 

どうぞ今後ともご贔屓に。

男が八重歯を見せて笑い返す。

 

握手を交わす私達を、娘がじっと見上げていた。

 

 

 

 

 

「……ところでこの娘、名はなんという?」

「な、名前ですか……コ…コ、コレット…と申します。」

「?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

背後から首に腕を回して締め落とせば、『旦那様』はいとも容易く絨毯の海に沈んだ。

 

「え?」

驚いて振り返った私兵の男がぽかんと口を開ける。

声が上がる前にスカートを翻してその顎を蹴り抜くと、男は目玉をぐるんと上に回して崩れ落ちた。

殺してはいない、はずだ。

 

「ええと……かぎ、かぎ……」

 

貴族の男の、でっぷりと肉が乗った腰周りから鍵束を漁り、面倒になってベルトループごと引きちぎる。

攫われてきた娘達が閉じ込められているという部屋の場所さえわかってしまえば、もうこの2人に用はない。

裂いたドレスで口と手足を適当に縛り上げて、手近な空き部屋に蹴り入れる。

 

ついでに着けていたレースの手袋やふわふわのケープ、大きくて重たいヘッドドレス……男としての体型を隠すためのそれらも外して放り込んだ。

身軽になった身体で、スカートをたくし上げてガーターに挟んでおいた短剣を引き抜く。

呪術的な紋様がびっしりと刻み込まれたそれは、普段の得物は大きすぎて到底忍び持てないため、あらかじめ相棒から借りておいたものだ。

 

「よし、」

 

辺りを見回し、体勢を整えて、深呼吸をひとつ。

己のいつでもあやふやな思考は、きちんと止まって考えてから動かないとすぐに霧散してしまう。

 

相棒から任された仕事はふたつ。

ひとつ。外の警備に気づかれないように攫われた娘達を助け出すこと。

ふたつ。助け出した娘達を無事に裏口まで連れて行くこと。

 

「それから、えぇと……あっ、あぶなくなったらにげること、だった。」

 

やや頭の回転の鈍い自分でも理解できる、シンプルな仕事。

制限時間は時計の長い針が一回りするまで。

今度は人売りからゴミの回収業者に装いを変えた相棒が裏口で待機している手筈である。

 

「キール、いやだったのかなあ」

 

別れ際にちらりと見上げた相棒の顔は、ひどく曇っていた。

この方法しかなかったとはいえ、人一倍正義感の強い彼のことだ。きっと人売りの真似事なんて嫌で仕方なかったのだろう。

それでも彼はきっちりと仕事をし、こうして上手く潜り込ませてくれた。今度は自分が頑張る番だ。

 

「……でも、ぼくがひとりでうまくやれたら、きっとほめてくれるよね?」

 

うふふ。嬉しくなって、白粉を塗った頬に両手を当てる。

戻ったらたくさん褒めてもらって、おいしいものをたくさん食べさせてもらって、たくさん話をしよう。

きっと彼はいつものようにお酒を飲んで愚痴を言うけれど、今夜ばかりは黙ってぜんぶ聞いてあげるのだ。

 

それにはまず、この仕事を無事に終わらせないと。

 

裂いたドレスの裾をはたはたと靡かせて、ぼくは長い長い廊下を静かに歩き出した。